先駆けとしての歩み

社名のファーマシィは、英語で「薬局」「調剤」を意味する言葉です。
まだ保険薬局の存在そのものがめずらしかったわが国の保険薬局の創成期から、ファーマシィは保険薬局として歩んできました。

創業時の状況

1974年10月、厚生省(現 厚生労働省)から医薬分業の方針が示されました。
ファーマシィの設立は1976年11月。
同年12月には国立福山病院(現 福山医療センター:広島県)前に、はじめての保険薬局を開局しました。
新聞で「調剤専門の薬局オープン」「医薬分業の先取り」と報道されるほどめずらしい状況でのスタートでした。

ファーマシィの社名が語るとおり、創業当時から保険薬局として、わが国の薬局に調剤の道をつけるべく、その先駆けとして歩み、現在では医薬分業の理想形態である“かかりつけ薬局”の確立をめざし、全国に保険薬局を展開しています。

医薬分業の歴史

医薬分業とは、医師の処方と薬剤師の調剤との分離です。
日本では1874年(明治7年)、明治政府がわが国最初の医事法規である「医制」を公布し、医薬分業が規定されましたが、当時は薬剤師の数が極めて少なかったこと、長年漢方医療の習慣に親しんできた国民意識があったこと等により、医薬分業は普及しませんでした。
戦後、1954年(昭和29年)には薬事法等の一部を改正する法律(いわゆる医薬分業法)が制定されましたが、医師が診察と投薬をすることが定着していたため、医薬分業はほとんど進展しませんでした。
そして、医薬分業元年と称される1974年(昭和49年)を境に、医薬分業はようやく全国的に普及することとなります。