ー社員によるリレーエッセイー Vol.12 池田美由紀

Vol.12 今、思うこと

ファーマシィ薬局沖野上

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64歳の薬剤師として、患者さんにまだできることがあるのかを自問する日々でした。今回、執筆のご依頼をいただき、自身を顧みることができたことに感謝いたします。

 卒業後、福山に来て薬局に勤務しました。当時は薬歴もなく、薬を処方せんどおり取りそろえるだけの仕事でしたが、門前の医師がアキレス腱断裂や虫垂摘出のついでに「卵管結索術を見においで」と薬局薬剤師を誘ってくれる時代でした。

 出産後は育児に専念するつもりでしたが、福山大学に薬学部が新設されると学び直したい感情があふれてきて、託児室のある病院にパートで再就職。当時のわずかな収入は、本代と若い薬剤師たちとの飲み代にすべて消えていたと思います。薬局長に昇進後は病棟業務を立ち上げました。各科の医師や病棟看護師から学び、病棟で役立つ薬剤師を育てなければなりません。仕事に没頭し、翌日には死にゆく人たちにも全力で向き合いました。その後、PTAを通じてファーマシィとの御縁をいただき、病院を退職するときは患者さんを裏切る後ろめたさに襲われましたが、仲間を信頼し託していくことを学び、解き放たれたと思います。
 当社に入社して配属された精神科クリニックの門前では、生きていくことのたいへんさを学びました。トレーシングレポートの前身のような薬局での患者さんの言葉をつづったノートを医師と交換していました。「どんなにがんばっても、死ぬやつは死ぬ」と吐き捨てた医師のしんどさ、命を守るために多剤処方にせざるをえない現実などに直面もしましたが、心の生い立ちをひも解き、寄り添っていくことを学びました。ここで自分自身、生き方が上手になった気がします。

 内科クリニックの門前では成人病を中心に広く薬を学べました。認定薬剤師制度も始まり、終業後に尾道での研修に参加し、半年かからず40単位を取得しました。自身の禁煙もでき、体の健康について地域の方々に話せるようになりました。医師への報告は、1週間分まとめて金曜の夜に行っていました。報告のネタ探しに、より積極的に患者さんにかかわれたのではないかと思います。

 次の異動先の在宅専門クリニックの門前では、さらに患者情報を集めることができました。ここでも医師にもの申してきたようです。「池田さんの意見は、半分とり入れているよ」と医師に言われ、本意はわざと確認することなく、「天下のイチローでも3割台が限度、5割はすごいですよね」と返したものです。
 施設在宅のみの処方を受けていたある医院から院外処方の依頼を受けた際には、初めて薬局の立ち上げを経験しました。60名の訪問診療と外来を鬼のように、しかし常に笑顔でこなす医師とスタッフについていかなければなりません。週1回のミーティングを行う環境を構築し、医師と情報交換を実施。〝老い〞につい
て学ぶとともに、自身の〝老い〞も感じるようになってきました。

 定年後は再雇用で今の薬局に配属されました。これまで在宅で末期がんの方を看取ってきましたが、ここではがんと闘っている方に寄り添うことになります。しかし、それまでめくることのなかった治療薬マニュアルのがんのページは真っ白です。
 ただ私は、病院勤務のときから新卒の方に最新の薬理の本を見せてもらっていました。指導しているようで実は教えてもらっていたのです。当社でも、前任地で新卒の方に抗がん剤の講義ノートを借り、コピーではなく手書きで写していたので、がん治療については新卒並みのレベルで業務を開始できました。
 振り返ると、薬剤師の仕事に自分が支えられてきたようです。心の健康、家族の健康、母のがん治療など薬局での業務と個人的な出来事がタイムリーに重なりました。これからも学ぶ力が残っている間は薬剤師をつづけようと思います。

 今の職場の薬局長に「池田さんは薬より先に人を見る」と言われました。確かにお呼びしたときの表情、立ち上がりの動作、投薬後の後ろ姿まで情報収集します。患者さん一人ひとりに最適な医療が行われるように、身近な〝セカンドオピニオン〞でありつづけたく思っています。